みわもんのロモームライフ

田舎の看護師、青年海外協力隊でカンボジアへ✈︎✈︎ロモームはクメール語で"丁度よい"という意味☺︎

日本人が知らないアツさん

皆さん、カンボジアにある

“アツ小・中学校”をご存知ですか?

 

 

中田厚仁さん

25年前、国連ボランティアとして、カンボジア総選挙の選挙監視員として活動中、クメール・ルージュと思われる何者かに銃撃され死亡した。享年25歳。

 

 

アツさんが射殺された場所に建てられた小・中学校は"アツ小・中学校"と名付けられ、

一帯の村は"ナカタアツヒト村"となった。

 

 

 

私はカンボジアに居ながら、この前同期に教えてもらうまで知りませんでした。アウチ!

 

 

 

そんな無知な私でしたが、同期隊員と行った旅行でかなり貴重な出逢いがあったので、“アツさん”を紹介するとともにここに記そうと思います。

 

 

 

 

先月4月半ば、

14.15.16日の3日間は“クメール正月”といって、カンボジアのお正月なんです。

 

私達はその連休に、同期隊員で旅行に行こう!ってなりました。今回はプノンペン隊員の「自然があるところでゆっくりしたい」の一言で、スバイリエンとコンポントムの2州へ行くことに

 

 

 

スバイリエンで、ソンクラーンに参加したあとコンポントムへ

 

首都プノンペンを経由して、

南東スバイリエン州→北東コンポントム州へ移動します

この移動がまぁまぁ長くて、結局コンポントムに着いたのが出発してから9時間後やったかな

 

 

コンポントムは、程よく観光化されていて、中心街の雰囲気も良い街

私達の目的は、去年世界遺産に登録されたばかりのサンボープレイクック遺跡

 

 

 

翌日、私達はトゥクトゥクで一時間程かけて遺跡があるサンボー地区へ

 

 

さて、冒頭で述べました“アツ小・中学校”はサンボー地区への行きしなにあります。

 

 

 

しかし、行きの私たちはスピードダウンしてくれたトゥクトゥクからシャッターを押したくらい。

見えますか?日本語でアツ小学校・中学校と書いてあります

f:id:miwamonn:20180520213538j:image

 

トゥクトゥクから降りなかったって?

 

そう、素通りしたんです。

 

このとき、帰りに素晴らしい出逢いがあるとは皆知りませんでしたが。

 

 

 

 

サンボー遺跡と、村長さん宅ホームステイを満喫した私達は帰路へ‥

 

 

帰りに、アツ学校の前でトゥクトゥクのおじちゃんが停まってくれました。

 

正門をくぐると、アツさんの遺影と石碑があり日本語で説明書き

 

誰かが供えた花束がひとつ

 

 

その日はクメール正月で休校やったけん生徒はいませんでした

 

トゥクトゥクのおじちゃんは、正門から出て少し右に進み「ココらへんでアツさんが撃たれたんだよ」と教えてくれました

 

道路の向かいを見ると家が一軒ありました。おじちゃんが「アツさん家じゃないかな‥」というので、皆で道を渡りました。

f:id:miwamonn:20180520215133j:image

門構えにアツさんの名前が

f:id:miwamonn:20180520215141j:image

おそるおそる入ってみると、何やら人の気配が‥

砂ホコリまみれだけど、"生きている家"の雰囲気を感じました

 

出迎えてくれたのはニエンさん

ここに住み込みで管理してくれている方

 

ニエンさんは突然来た私達を歓迎してくれ、会議室でゆっくりアツさんのお話、この建物の話を聞かせてくれました。

 

 

 

この建物はアツさんの家ではなくて、アツさんが亡くなったあとお父さんが建てたものだ、とか

そのお父さんはもう亡くなってしまった、とか

アツさんはカンボジアの歌が好きでビデオテープに撮って聴いていた、とか

以前はスタディーツアーを組んでここで宿泊できるようにしていた、とか

今後、この建物を博物館として維持していくためにニエンさんが政府にレターを書いてくれている、とか

 

f:id:miwamonn:20180520234625j:image

 

会議室には、以前ここに小泉前首相が訪れた時の写真や、アツさんが使っていた遺品、日本からの贈り物など、貴重なものがたくさん置かれてありました。

 

f:id:miwamonn:20180520235656j:image

おおきなアツさんの絵があり、背景には

アンコールワットと富士山が。

 

 

カンボジア人によって殺されたけれども、亡くなった後もカンボジア人からこれだけ愛され村の名前にまでなったアツさん

 

ポル・ポト派が根付いていた最も危険なサンボー地区に自ら志願して行ったアツさん

 

そんな勇気と正義あふれる中田厚仁さんを

 

日本人が知らないなんて恥ずかしい

 

 

まずは、ググるだけでもしてみてください

そして、隣りに座っている友達に聞いてみてください、もし知らなかったら話してみてください

ひとりでも多くの人に知ってほしい。

そして、忘れ去られてほしくない。

 

 

 

帰りのトゥクトゥクはなにか感慨深いものがありました。

生の声って、こういうことなんだ。

 

f:id:miwamonn:20180521001048j:image

ニエンさん、ありがとうございました。

必ず、また伺います。

少しでも力になりたい。